火曜日, 10月 27, 2009

「初心忘るべからず」

 仕事であれ、勉強であれ、趣味であれ、長い期間努力しつづけなければ達成できないことに挑戦した経験はどなたにもあると思います。
 ですが、その間ずっと意欲を保てるわけではなく、時には「なぜこんなことをしているのだろう?」「努力しても結果がついてこないのではないか?」という思いにとらわれるのではないでしょうか。
 私自身も資格試験に向けて勉強を行っていますが、その間何度かそのような考えを持ち、徒労感に襲われるときがありました。

 そういう場合に受けるアドヴァイスとしては、「“はじめに資格を取ろうと思ったのはなぜか”を思い出して頑張って」というものが多かったように思います。つまり、“初志貫徹”です。
 はじめのうちは「そうか、初志貫徹か」と思っていたのですが、だんだんと自分の迷いを解決するにはしっくりこないような気もしてきました。
 勿論、“初志貫徹”は大事なことですが、初志はあくまで初めに思ったことや考えたことにすぎず、色々と学び、知識が増えていくに従って、気持ちや考え方 は変わっていって当然です。そう考えれば、未熟な初志を後生大事にするよりも、変わってきた今の状態を踏まえて更に頑張るほうがずっと重要なのではない か?と思うのです。

 こうした違和感を解消してくれたのが、「初心忘るべからず」という言葉です。
 これは、室町時代初期の猿楽師(いまの能)世阿弥の晩年の著書「花鏡」にある言葉です。
 初心を“初めの心のもちよう”と解釈し、初志貫徹と同じ意味として誤用している例も見受けられますが、そもそも“初心”と“初志”とは全く違うものです。
 初心とは初心者の初心と同じで、全く何も分からない、未熟な“状態”を指します。
“心”と書いてはありますが、あくまで初めの未熟な“状態“です。
「初心忘るべからず」とは、最初のときがどれだけ未熟であったかを覚えておくことで、自分の成長を知る目安ともなる ということ、未熟なころに行った誤ちをくりかえさないこと、さらに成長していく過程においてもそれぞれの初心(その時における未熟な状態)があるというこ とを意味しています。

 思えば、石田会計に入った頃には、ひととおり勉強したつもりのことであっても実務に応用できない状態でした。それに比べれば、少しずつであっても今は成長しており、今までのことが無駄にはなっていないと思えます。それに気づくことで、今後も頑張っていこうという気持ちが生まれてきました。
 また一方で、いまこの状態でも分かっていないことは多く、今は今の「初心」であるともいえます。この初心を忘れなければ、ここからさらに成長していけるでしょう。
 時にはまた行きづまることもあるでしょうが、その時その時の初心を忘れず頑張っていきたいと思います。

by 安藤