木曜日, 5月 28, 2009

時間活用術

先日、家で本の整理をしていたところ、5年程前に読んで感銘を受けた本が 出てきました。
感銘を受けたとは言うものの、はっきりと内容を覚えていなかったため、改めて読んで みました。
書名は「1日26時間にする、最強の時間活用術」(著者:ヴィンス・パネラ)という、時間コントロール法のエッセンスについて書かれた本です。
本書では、1日の時間を増やす方法を(1)無駄を減らす(2)時間の効率 をよくする(3)活動能力を高めるの3種類に分けています。

改めて読んでいる内に、当時自分にずばり当てはまったため、何とかしよう と四苦八苦していたことがあったのを思い出しました。
それは(1)“無駄を減らす”の中で特にたちの悪いとされる、「先延ばしの習慣」です。
先延ばしを生むのは、人間に生来備わっている回避の習性です。
先延ばしをするときの私たちは、失敗や批判に対する恐れ、退屈さへの恐れを避けようとして、行動するよりも行動しないことを選んでしまいます。

当時、私は失敗が許されない仕事になればなるほど、準備に時間がかかるの を理由として先延ばしすることを正当化していました。
その結果、早めに行動を起こしていれば、失敗しても修正がきいたことでも 先延ばししたことでどうしようもなくなってしまったこともありました。
先延ばしを防ぐ方法として、本書では「早送り」と呼ぶ方法を勧めています。
この方法は、先延ばしを1年続けた場合、5年続けた場合、10年続けた場合に精神面、経済面、身体面、人間関係面などでどういった影響が出るか想像 します。
また逆に少しずつでも行動を起こしたら、どういった影響が出るか想像しま す。

たったこれだけのことですが、先延ばしした場合と早く行動を起こした場合の差を想像するだけで、行動を起こすのに必要な意欲が生まれてきます。
今でも、先延ばししてしまうことはありますが、5年前に比べると格段に減 らすことができるようになったように感じます。
本書にはまだまだ実践することで、時間を有効に使う方法が書かれていましたので、どれだけ1日の行動時間を増やせるか試していきたいです。

by荻巣 勇人

金曜日, 5月 22, 2009

絵画と音楽と数学

 レオナルド・ダ=ヴィンチの代表作の一つ『最後の晩餐』の絵の解説が、テレビで放送されていたのがふと目に止まりました。
 『最後の晩餐』は、イエス・キリストが処刑される前夜に、12人の弟子と共にとった夕食の模様を描いたもので、この食事中に、キリストがこの中に裏切り者がいることを告白したとも言われています。

 この絵に楽譜が隠されていると、あるイタリアの音楽家が発表したのです。
 その楽譜とは、テーブルの上に無造作に置かれたパンと12人の弟子の手の位置に音符を置いたもので、実際に曲にするとレクイエムのような曲になるというものでした。
 そのことを裏付けるかのように、その音符を線で結ぶと「彼に聖別と栄光あれ」という文字になるそうです。

 ダ=ヴィンチは絵画だけでなく、彫刻や建築、数学にも長けていたと言われています。
 そのためダ=ヴィンチが描くものは、緻密に計算されたものが多く、安定感があるそうです。
 実際に『最後の晩餐』も、キリストを中心として遠近感を出す方法である一点透視図法という方法で描かれており、奥行きがあるように見えるのです。
 
 ダ=ヴィンチの『最後の晩餐』には、絵画とは一見絡み合わないと思われる音楽と数学が隠されていたのです。
 私は芸術に疎いのですが、このミステリアスなところが、とてもおもしろく感じました。
 芸術だけに限らず物事には、実は思いもよらないところに新しい発見があるということが多いのかもしれません。
 色々なことに好奇心を持つことによって、まだ知らない思いもよらない発見をしたいと思いました。

by 村上

木曜日, 5月 21, 2009

プラス思考への「変換」

テレビや書籍などでプラス思考は良いという話がよくありますが、意識的に実行されたことはありますか?

私は雑誌のコラムを読んだことがきっかけで、4年程前から仕事においてもプライベートにおいてもプラス思考を心がけるようになり、次の方法により実践しています。
(1)自分が行うことに対して、「イヤだな」とか「困ったな」というマイナスの感情が思い浮ぶ
(2)その時、その「行うこと」を乗り越えて、少し成長した自分自身をイメージする
(3)(1)のマイナスの感情を、(2)の良いイメージに「変換」する(パソコンの変換キーを押す様に)
例えば、知人がほとんどいない食事会に誘われた場合で、最初は「知らない人ばかりで楽しめるかな?断ろうかな?」といった気持ちを持ったとき、「大切な人脈を作ることができた」イメージを思い浮かべ、意識的にマイナスの感情と差し替えるようにしています。

この方法を実践することによって、以下の良い効果があることに気付きました。
・前向きに取り組める。
・精神的にとても楽になる。
・結果がよりよくなっていると感じる。
それまでは、大変そうだな、イヤだなと思いながらやっていたことでも、自分の成長のためには必要なことだと思えるようになりました。また、困難な問題をプラス思考で乗り越えた後は、次の課題にも気持ちよく取り組むことができるようにもなりました。

プラス面の多いこの思考方法を、これからも継続していきたいと思います。

by 加古

金曜日, 5月 15, 2009

意外性が喜びに

先日、テレビで世界一の似顔絵師を取り上げた番組が放映されていました。

 その方の似顔絵は、カリカチュアという技法(イタリア語で誇張するという意味)を用いて、人物の外見だけでなく、内面をもとらえて描くのが特徴です。そのため、人物から受ける印象を目だけでなく、心で読み取るテクニックが必要だそうです。それにより、似顔絵本来の見た目が「似ている」という印象を超えて、書かれた本人の心に響く驚きと喜びを与えることができるそうです。

 似顔絵が本人に似ているというのは当然で、それに+αすることで、意外性に対する驚きと、それを超えると喜びを与えることができるようです。

 私自身、状況は全く異なりますが、同じような経験をしたことがあります。住んでいるマンションの駐車場の雨どいが劣化し、雨が降ると色落ちして車が汚れるということがあり、それを管理会社に連絡したときのことです。その際、「すぐに修理します」と言われたので、補修をしてくれる程度だろうと思っていたところ、その雨どいの下に受け皿を付けて、今度同じ様な状態になっても、汚れた水が車にかからないように対応してくれたのです。原状回復だけでなく、今後の対応まで考慮してくれたことに、驚きと共に喜びを感じました。

 相手が想定している以上の意外なことは、驚きと共に喜びも運んできてくれるのだと感心しつつ、その難しさも実感しました。

by 板谷

水曜日, 5月 13, 2009

擬似体験

 確定申告を終え、ほっとしたのもつかの間、 歯に違和感を感じたため歯医者さんへ行ってきました。

どうやら「親知らず」がその原因だったらしく、抜歯したところ、腫れが治まるまで二週間ほど柔らかい物しかうまく噛めない日が続くことになりました。

 今までは何でも食べられていたのに、毎食時 「これは食べられる、これは食べられない」 と気を遣わなければいけないことは結構なストレスです。
いつも祖母が固いものが食べにくいとこぼしているのを大変だなとは思っていましたが、自分がその立場になってみて初めてその苦労を実感することとなりました。

 しかも単に固いものが無理というのではなく、噛みにくいものがあるということも新たな発見です。
それは例えばキノコであったり肉類であったりなのですが、それまでは特に歯を使うとも思っていなかったものです。
これは祖母の気持ちを「考える」だけでは気づかなかったことです。
たった一つ不自由な部分があるだけでこんなに生活が制限されるとは思ってもみませんでした。 よく高齢者や身体に障害がある人の擬似体験をするために、わざわざゴーグルや耳栓、おもり、サポーターをつけてみる研修等がありますが、まさにそんな感じです。

 想像で相手を思いやるのと、実際に相手の状況を体感するのとでは天と地ほどの違いがあるのですね。 人間の想像力にも限界があるのだなという事を思い知らされました。
擬似体験をわざわざやる必要あるのかな、などと思ってしまっていた私でしたが、考えを改めることとなりました。
by 加藤

月曜日, 5月 11, 2009

東京中央線通学回想録

 電車の中に新入生や新入社員の方が増え、少し混みあう時もでてきました。
 とはいっても私の使っている路線は比較的空いているので、運がよければ座ることもでき、混んでいても押しつぶされることまではありません。

 私は中学、高校の6年間、東京都心の中央線で通学していました。
 通勤ラッシュ時間帯の中央線といえば、乗車率が時に200パーセントにも及ぶ“超満員電車”です。
 ひとつの車両の乗車率が200パーセント(つまり、定員の2倍の人間がいる)という状態が想像外の方もいらっしゃると思いますので、思い出せる範囲で書いてみると、

・ 何かの拍子で膝を曲げるとその形で動けません。
・ 手荷物から手を離しても床に落ちません。気を抜くと人の間に挟まれながら漂流してどこかに行ってしまいます。
・ 背が小さい場合、床に足がつかない状態になることがあります。(これは伝聞ですが)

 こんな状態でたいした混乱もケガ人もなくいられるのは、乗車している人びと全体がひとつの暗黙の了解や約束事によって動いているからです。
 言葉ではうまく説明しづらいのですがあえて説明すると、たとえばA駅で降りたい人は大体ここの辺に立ち、B駅ではこう動く、など、乗車した人がどの立ち位置にいて、どのように動かなければならないかという「流れ」が決まっているのです。

 この「流れ」に逆らうとどうなるでしょう?4月や5月はまだこの約束事に慣れない方が相当数いるため、無理をすれば自分の動きたい方向に動くことも可能なのですが、その時期を過ぎてしまうと、流れに逆らうのは非常に難しいです。
  暗黙の了解のうちに動く50人の群れに、1人の人が逆らえるでしょうか?「私、降りません!」と叫びながらホームに押し流されていく人を見かけたのも1回や2回ではありません。

  周囲の人があまりに整然と動いているので、初めのうちはテレパシーや超能力でも使っているのかと思いましたが、毎日通っていると自然とできるようになっていました。
 この「流れ」ですが、逆に言えば「見知らぬ他人の動きを察知した気配り」とも言えます。
 次の駅で降りそうな方に気づいたら、その人が動きやすいようにしてあげる、気分の悪い方を席まで誘導する(ような流れをつくる)などの車内の行動から、電車の中以外の場所でもちょっとしたことに気づくことができるようになっていました。

 とはいえ、会社や学校にたどり着く前にかなり体力を消耗していることも確かです。
 よい経験だったとは思いますが、もう一回経験するのは遠慮したい思い出です。

by 安藤