金曜日, 4月 23, 2010

楽しいお金のつかいかた

 私たちはほぼ毎日、お金を出して何かを買っています。コンビニでペットボトル飲料を買い、昼食を買い、夕食の材料を買い、更には本や洋服、その他さまざ まなものをお金を出して購入しています。ほとんど意識することもないくらいあたりまえの日常として、日々、何かを購入しているのではないでしょうか。

 お金で何かを手に入れるときには、「それによって手に入れられるもの(商品)とその値段(対価)」をまず第一に考えます。時にはその安さにだけ注目することもあるでしょう。
 この事自体は当然のことですが、その側面だけを見ていると、見落としてしまうこともあるのではないかと思っています。
 つまり、何かを買うとき、自分は商品とひきかえにお金を失っているわけですが、逆からとらえれば「どこかにお金が渡っている」ということにもなります。
 コンビニで買った飲料のお金は、コンビニエンスストア、運送業者、生産メーカ、さらには生産メーカの工場機械製造業者、原材料を扱う業者、生産業者など などに「渡って」います。そしてその人々はそのお金を使ってさらに生産を行ったり、他のものを購入したりしている訳です。

 安ければ安い方がよいから、といって、そのお金がどこに渡っているのかを考えずに行う買い物は、一見「AよりBの方が安いからAを選んだ」というよう に、買い手の側に主導権や選択権があるように見えます。
 しかし、その価格を決めているのは誰でしょうか?もし、その商品を扱うすべての企業が協調して価格 を変えたらどうなるでしょう?
 こうした極端な状況は考えにくいですが、より小さな単位や範囲で、買い手は企業の価格決定に“振り回されて”います。(そしてもちろん、企業は企業で安 さを求める消費者に振り回されている面があるでしょう)
 このような買い物は、結局はお互いにとって自由の少ない「お金のつかいかた」ではないでしょうか。
 逆に、手放すお金を使って「よりよいものを作って欲しい、よりよくなってほしい」という期待も含めて行う「購買活動」には、購入する側の意思や期待が込 められており、購入する側が主導権を持つ「お金のつかいかた」であると思います。

 何をどれだけ安く買えるか?だけにこだわったり、ただ自分を満足させるためだけに使うお金と、相手に対して期待をこめて送り出すお金には大きな違いがあ ると感じています。
 「楽しい」お金のつかいかた、と挙げましたが、私の考える楽しいお金のつかいかたとは、それによって何が手に入るのかだけではなく、手放したお金が経済 の中でどのように動いて欲しいかという期待をこめて行う積極的な購買活動であると思っています。
(自分の体験ですが、新古書店(比較的近年に出版された本(新古本)を売買する古書店)では書籍を買わず、新刊で手に入れられる可能性のあるものは新刊で手に入れて、書店、出版社や著者にお金が渡るように する、などがその一例です)

 「ものを買うこと」は、それ自体が経済に大きな影響を与える活動ではないでしょうか。
こういったことは、日々の少額の買い物ではほとんど考えることもありませんが、手放している=どこかに渡っている金額の総額を考えれば、なかなか馬鹿には できない額になっているでしょう。
 それを許さない家計の状況になることも多々ありますが、なるべくなら、いつも「楽しく」お金を使っていきたいと考えています。

by 安藤