金曜日, 4月 10, 2009

大事なのは”本当の目的”  

 春になり、新学期や新年度が始まるのを機に、電車内等でも英会話学校の広告をよく見るようになりました。
 それを見るたびに、4、5年前に1度だけ英会話学校の体験教室に行ったことを思い出します。
 英語に慣れていない訳ではなかったのですが、レッスンの時間中先生に対してほとんどなにも話せませんでした。

 もちろん先生はいろいろと話しかけてきてくれるのですが、その間私が感じていたのは(さっきまでこの人、日本語で話していたのに、なんで英語で話さないといけないんだろう?)という照れや違和感でした。

 ところが、海外にいるときに現地の方と話すときには、文法や発音が間違っていてなかなか伝わらなかったとしてもあまり恥ずかしさは感じませんし、また、日本に来た外国の方につたない英語で観光案内や道案内をするのも照れたりはしません。
 もちろん「言いたいことが正確に言えずもどかしい」ということはあるのですが、英会話教室で感じたような気恥ずかしさや照れなどを感じることはなかったのです。

 これはなぜだろうとずっと考えていたのですが、うまく話せなくなるのは “日本語で問題なく話せる方”と話そうとしていた時だということを考えると理由がわかる気がします。
  私にとってはその人と何を話したいのか?が大事で、その人と私の間で伝わりやすいことばが「日本語」なら、日本語で話せばよいですし、「英語」なら英語で話せばよい、と思っているからだったのです。 つまり、『日本語で問題なくコミュニケーションできる人と、わざわざ英語で話している』という不自然さが気恥ずかしさの原因のようなのです。

 そもそも英会話学校に行こうと思った動機は、英語を話していないと忘れてしまうな・・・と思ったことなのですが、さかのぼって「英語を忘れたくない」と思ったのは「英語でしか話せない人とコミュニケーションできるようにしていたい」と思っていたからです。

 「英語を忘れたくない」という目的に対しては、話す相手が日本人の先生であっても外国人の先生であっても本来問題はないはずです。しかし、その先の「英語を使って何がしたいのか」という”本当の目的”と食い違うようなやりかただったために上手くいかなかったのが、先に述べた私の英会話学校体験だったのではないでしょうか。

 英語に限らず、勉強して得られることについては、大事なのは「勉強した中身」ではなく「それを使ってなにをしたいのか」という”本当の目的”だと思います。  勉強することに力を注いでいる場合、時としてそれを忘れてしまいがちですが、常にそれを意識しているようにしたいと思いました。
by 安藤