金曜日, 12月 25, 2009

啐啄の機(そつたくのき)

 一生のうちで、情報や知識を人から受け取る機会や、逆に人に何かを伝えようとする機会は、たとえ無意識であっても何度も訪れることだと思います。
 しかし、その中身を「正しく受け取れた」あるいは「正しく伝えられた」と感じたり、実際にそう出来ている機会は、ごくまれなことではないでしょうか。

「啐啄の機(あるいは、啐啄同時、啐啄之時)」とは、そうしたごくまれな機会をとらえた言葉です。
(元は禅宗の禅問答集である碧巌禄の言葉であるため、私が正しくその真意を理解しているか心許ないですが、)「啐啄」の「啐」は、鶏の卵がかえる時、殻の中で雛がつつく音。「啄」は母鶏が殻を噛み破ること。つまり、啐啄の機とは、卵の殻の内側から雛がつつき、外側から母鶏が破ろうとする、その双方の動きが一致した瞬間であり、その動きが一致した瞬間にはじめて雛が殻を破って外に出てくることを示しています。

 親鳥がつつくのが早すぎれば、雛鳥が孵化する前に卵が割れて死んでしまいますし、逆に雛鳥が孵化しているのに外からつつかなければ外へ出られずに卵の中で死んでしまうでしょう。
 碧巌禄においてはこれを師弟の関係になぞらえ、双方の機が熟したときでなければ伝わらないという教育の真髄を示しています。

 この言葉が示すものは、人間関係のすべてについて言えることではないでしょうか。
 何かを受け入れることは難しいことで、受け入れる側の準備が出来ていなければ、せっかくのアドバイスも上滑りするだけで何の意味もなさなくなってしまいます。
 逆に、受け入れる側の準備が出来ていても、その機を見誤ってしまえば手遅れになってしまうはずです。

 自分を振り返って考えてみても、今まで様々な人が与えようとしてくれたものに対して、自分の機が熟していないために受け取れていないものがあると思います。
 また、与えられるばかりでなく人に与える機会であっても、相手の機が熟していないことを見極められなければ、双方にとって良くない結果となってしまうでしょう。

 啐啄の機は、転じて「得がたいよい時機」という意味でも使われます。その時機を逃さないよう、常に「殻をつつく音」に耳をすませていたいと思います。

by 安藤